サビイヌ

イメコン話とかよもやま

SHE is like

 先日、娘のダンスの発表会がありました。コーチのご縁で、他のダンススクールの発表会に混ぜてもらった形です。出演者全員が笑顔で舞台から手を振り、ゆるゆると降りて閉会を示す緞帳に、もう耐えきれないほどの大号泣をしました。

 

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 ダンスは娘が習いたいと言って、小学校入って直ぐに始めた習い事です。保育園の頃から体操を習いに通っていたスポーツクラブの教室で、半年~1年単位で担当コーチが変わるものの、ずっと女性コーチのもとで元気に楽しく踊ってました。ステップもすぐに覚えたりして、クラスの中でも結構上手い方だったんじゃないかな~親の欲目(笑。

 まあ楽しんでるからええこっちゃ。そう思って1年が経ち、2年が経ったある日、臨時でやってきた男性コーチに、大きな声で間違いを指摘されたことをきっかけに(わたしはその場にいなかったので、どのような調子かはわかりませんが、本人はひどく恐怖を覚え、自信を喪失したようです)、まったく踊ることが出来なくなってしまいました。

 

 実はその二ヶ月ほど前かな、小学校の通学中に見知らぬ上級生からひそひそと陰口を叩かれる、という事件が起きていました。

 娘はショートカットで、わたしとしてはとても可愛いと思っているのですが、『(髪の毛が短くて)男みたいなのにピンクを着てる』『男みたいなのにスカート履いてる』と、そんなことを直接的ではないにせよ、聞こえるように言われたらしいんですね。

 

 なにその封建主義的思考〜〜!!! この令和に?? 小学生が??? そんなことを言う??? 親はどう言う育て方してんの??? ってわたしは非常に腹を立てたのですが、何せ犯人はわかりません。言われた内容についても、そもそもそんなことを言われること自体についても、娘にとっては晴天の霹靂であったろうと思います。

 そこから、スカートはイヤ。ピンクもイヤ。フリル的なひらひらもイヤ。女の子っぽさを想起させるものは全て拒絶するようになりました。イメコンを囓った母としては、まあそうね……似合う方向ではないけれど…と納得しつつ(なにせ直線タイプっぽいし、キュートボーイッシュ感あるし)、あまりに強い拒絶感に、本人の好みを育てていく中での可能性や選択肢を潰されたような、やりきれなさはありましたが。

 

 登校はわたしが同伴するようにしましたが、足が重く、通常の倍以上の時間がかかりました。やっとのことで到着しても、人の目が気になって教室に入れず、廊下に机を出したり、少人数教室で気持ちが落ち着くまで個別に勉強していたりしたようです。3-4時間目にもなれば教室に入れてクラスメイト達とも過ごせるようになり、元気に帰宅するのですが、翌日になると元通り。

 学校にはスクールカウンセラーもいて、専用の部屋があるため、最初の頃は受け皿になってくれていましたが、スクールカウンセラーも良し悪しがあるんだなあ…というのを痛感する結果になりましたね……。保健室の先生、担任の先生、教科担任の先生方が、じっと待つ姿勢でいてくれたことだけが救いでした。

 

 ともあれ、娘の精神状態はそんな感じだったので、ダンスの際、『叱られた』レベルにも満たない注意にしても、ひどく深刻に受け取ってしまった、のかもしれません。以降、レッスンはわたしが同席しないとだめだし、わたしと1mも離れられない。やろうとしても、上手く出来ない自分を責めて泣く。始終そんな感じで、コーチやレッスンに参加してる子供達からかなり離れた場所で軽いステップだけ踏んだり、見学だけで終わることもありました。

 件の方とは別人だろうと、『ダンスを男性コーチから教わる』こと自体がNGになってしまい、教室に入ってから、担当変更で男性コーチになっていることが分かった瞬間に、おやすみにさせてもらったりもしました…。あれは、ほんとに申し訳なかったなあ。しかも、体操の方では全然問題なく接してるコーチだったので、心底なんで??? ってなったろうな……。(そう、体操の方は全く問題なく元気に参加していたので)

 

 今までコーチをしてくださっていた方達は、豹変してしまった娘の状態に驚いてしまったようで(そりゃそうだ。元気に踊ってた子が、竦んで棒立ちになったままだったり、全く踊ろうともしなくなってるんだもんな)、事情を話すと非常に申し訳なさそうに謝ってくれました。教室に来てもなにもせず、心を閉ざして反応も薄い娘に対して、注意する事も怒る事も説得するような素振りもなく、たまにちょっと誘いを掛けることはありましたが、こちらでも基本的には待ちの姿勢でした。

 子供向けのクラスは、スイミングと体操がメインのスポーツクラブなのですが、就学前の子供達を受け容れていることもあって、子供マニュアルがかなりきちんと整備されている印象を受けています。嫌がったら無理強いしない、とかね。そういう…。

 娘のことはエスカレーションされていたようで、男性コーチが臨時で入ることになった時は、わざわざ電話連絡が入ったりもしました。ありがたいことですわ…。

 

 

 時間が経って夏期休暇が開けると、心境に変化があったのか、ぼちぼちと一人で学校に行き、それなりにすんなりと教室に入れるようにもなりました。でも、ダンスの方は全くもって変わらず……。

 不思議なのは、ダンスのレッスンを辞めたいとは言わなかったことでした。わたしの方が付き添いに疲れてしまい、辞めてくれた方が楽なんだけどなーと思うくらいだったんですけども笑。レッスンの輪にいる子と我が子をどうしたって比べてしまうし、なんでこんなことになってしまったのか、と恨みの気持ちは湧くし、同じような見学の親御さんから奇異の目を向けられているような『気がする』し、時間は拘束されるし……。でも、辞める? って聞いても、辞めなかった。

 そうこうして一年。ダンスレッスンのメンバーにも変化がありました。コロナ禍も落ち着いた頃合いだったこともあって、これを機に習い事を、と小さな子がぼちぼちと増えたんですよね。そうなるとレッスン内容は、一番出来ない子を基準にせざるを得ず、簡単なステップ練習ばかりになりました。

 娘は、階級テストも全て合格してしまっていたし、今更ステップを念入りに教えて貰っても……と持て余しているようでした。半年ほどその状態を続けた後、もっと違うダンスを習いたい、と言い始めました。

 

 まだダンスやんの??? と思ったものの、口にはせず、わたしが言ったのは、『でも、今みたいに、ママがそばにいて、一人だけコーチから離れた場所でレッスンを受けたりすることは出来ないよ』でした。何度も念を押しても、大丈夫だ、と本人の意思は固く、そこまで言うなら…、と教室を探すことにしました。

 ダンスの教室と言っても、HIP-HOP、K-POPのアイドルダンス、テーマパークダンスといろいろです。希望を聞くとかっこいいのが良い、とのこと。YouTubeで動画を見せると、HIP-HOPが彼女の言う『かっこいい』のようでした。あちこち調べて、結局、同じスポーツクラブの、外部講師の方が担当されているクラスに見学に行き、娘が乗り気になったので移ることにしました。これが昨年の11月。

 約束通り、きちんとレッスンの輪に入り、毎回きつい~と音を上げつつ、でも楽しそうでした。発表会があることを聞かされたのは、年明けだったかな。

 衣装を選び、アイメイク品を選び、万全の準備を整え、迎えた発表会。

 

 楽屋入りしたら保護者は付き添えない。そこがわたしには非常に不安の種でした。緊張のあまりパニックに陥るかもしれない。そうなったら泣いて、コーチにも手が付けられないかもしれない。学校で発表をする、とか人前に立つとかの際に、そう言ったことがあったわけでもないんですけど、ダンスってだけで、不安が否が応でも募ります。

 別にダンサーに育てたいわけじゃなし、楽しく過ごしてくれりゃそれでええんじゃ~~~~。がんばってくれ~~~~。

 

 そうして幕が開きました。ゲスト枠にもかかわらず、出番は後ろから数えた方が早いくらい。下は3歳くらいから、60代以上のおばさま方まで、ヒップホップやらK-POPやら、バレエやら、フラダンスやらを披露していきます。2.5時間のプログラム、えらい人数が参加するんだなあと思いきや、K-POPやヒップホップを踊る子供達が、それぞれ3プログラムくらい担当していました。あんなにK-POPを何曲も聴いたの、初めてかもしれない。K-POPダンスは、上手い下手がものすごい分かりやすくて残酷……とか、センターはやはりセンターなのだ……と思いつつ。

 幾度かの休憩を挟んで、娘達のチームの番。総勢七名。練習の時に聞き慣れた曲が流れて、臆すること無く手足を動かしているのを見て、まずはほっとしました。舞台の、目も眩むような光の中で、ソロパートもとちらず、最後の練習の時まで間違えていたパートも修正済み。同年代のチームの中では、一番の出来だった、と手を叩きました。

 

 エンディングはBTSの曲に合わせ、全員がちょっとダンスをしてご挨拶。そうして最後に全員揃って閉幕、となりました。

 

 幕が下りきると、観客席の人達がざわざわと動き始めます。そんな中で舞台を眺めて思い返すのは、踊れなくなった昔の娘の姿でした。出来ないと頑なに床を見て泣き、じっと縮こまっていたあの子が、今日はあんなに踊って笑って、手を振っていた。それだけでもう言葉に出来ない衝動で、口元が震えて涙がにじみ、慌てて大判のタオルハンカチでマスクの上から顔を押さえました。

 気持ちがぺしゃんこになっても投げ出さなかった娘の、意地か、執着心か、根性か、それとも全く別のなにかなのかは、わたしには知るよしもないですが、そういったものが、この晴れやかな日に結び付いたんだなあと。しみじみと噛みしめながら、帰宅しました。今でも思い出すと泣いてしまう~~~(笑。

 

 これからも色んな事があって、挫折も何もかも飲み込んで行かなきゃならない。その中でこの経験が礎となるのかな。案外、そんなことあったっけ? なんて、すっかり忘れたりもしそうだけれども笑。まあ何にしても、彼女の成し遂げたことをわたしは忘れないんだろう。そんな春の日の話でした。

 

 

 …ちなみに、フリル嫌いはそのままですが、最近はスカートも履くようになりましたし、ピンクにもそれほど抵抗はなくなったようです。色んなものを見て、着て、自分の『好き』を育てておくれ~~。協力は惜しまぬよ~~と、思っています。